2040年の薬剤師
- ito397
- 12 分前
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特集
日本に押し寄せている2040年問題。2040年には高齢人口の最大化と生産年齢人口の激減が同時に起こり、 これによって医療の担い手が不足するとともに、年金や医療費など社会保障費の増大が予想されており、医療 体制の崩壊が懸念されています。一方でAIやIoT導入による新しい治療薬の開発や遠隔医療技術の発達など、 新しい医療の形も期待されているところです。こういった状況の中、薬剤師は社会の中でどういった役割を 果たせばいいのでしょうか。薬学領域の専門家に2040年の薬剤師のあるべき姿について聞いてみました。

井上 圭三 Profile
一般社団法人日本私立薬科大学協会 前会長
東京大学薬学部長、帝京大学薬学部長、帝京大学副学長等を歴任。日本薬学会会頭、薬学教育評価機構理事長、日本私立薬科大学協会会長等を務めた。薬学部6年制導入にあたり、教育内容や体制の整備に尽力した。
薬剤師の役割は大きく変わるがアイデンティティーは大切にしてほしい。
――2040年、薬剤師はどうなっていると思いますか。
技術が進化し、現在の薬剤師が行う作業の大部分はAIやロボットが担うことになるでしょう。薬剤師に求められるのは、個々の患者さんに対する血の通う対応が主になってくるのではないでしょうか。
令和4年度の薬学教育モデル・コア・カリキュラム改訂では、「ITを活用するために何を学ばないといけないか」に配慮しました。
少子高齢化や人口の偏在化等の影響で、医療の世界でも著しい人材不足に悩まされることになるでしょう。在宅医療が増えそうです。多職種が協働して医療体制をカバーしていく必要があると思いますが、協働の場で薬剤師が薬のことだけを考えていたのでは対応できません。
一方で“自分の健康はできるだけ自分で守る”体制の整備も求められています。この体制の中心をなすのが薬局薬剤師となります。後発医薬品(ジェネリック医薬品)、一般用医薬品(OTC)、健康食品などにも深い洞察力が必要です。
コア・カリキュラムには、病気の知識や対人コミュニケーション、倫理などについても深く勉強する内容が織り込まれています。
――時代の進化に対応した教育が大切になってくるということですね
そのとおりですが、臨床、ITの活用、人との接し方などに精通したとしても、薬剤師ならではの特性、アイデンティティーはしっかり維持しなければなりません。今は医師や看護師の教育でも、薬のことをかなり教えますが、深いところまでは無理です。やはり、薬剤師が薬の物理化学的性質などをしっかり学んだうえで、薬物治療に主体的な役割を果たし、正確な情報を他職種と共有し、他職種に適切な判断を提供することが求められます。
今後は災害を想定した教育も大切になります。災害時にIT機器が使えないような事態も想定しておかなければなりません。また、AIが導き出した回答に間違いの可能性がないか、なぜそういう答えが示されたのかという視点も必要です。根拠が理解できていないと、周りの方々に正しく分かりやすく伝えることはできません。相手の個性に応じて適切な情報を提供し、相手の個性に応じて相手の意思決定をサポートするのが私たち薬剤師の専門的役割です。根拠となる知識があってこそ、深いケアはできるのです。

荒川 直子 Profile
イギリス・ノッティンガム大学薬学部にて准教授として教育、研究に従事。
国際保健の向上のために薬剤師教育や薬剤師の役割の発展を目標とした研究をしている。国際薬剤師・
薬学連合(FIP:International Pharmaceutical Federation)にてInterim Education Secretary
を務める。日本では2002年に明治薬科大学卒業後、病院にて7年間、地域薬局にて1年薬剤師として勤務。その後は英国のUniversity College Londonにて修士号、博士号を取得。英国薬剤師協会(Royal Pharmaceutical Society)に2年弱勤務後、2018年より現ノッティンガム大学薬学部に助教授として勤務。2023年8月より現職。
新しいことに柔軟に対応することがこれからの薬剤師にとって大切。
――2040年、薬剤師はどうなっていると想像されますか?
薬剤師の使うツールのデジタル化が進み、働き方はだいぶ変わってくると思います。蓄積された医薬品情報や患者データの共有も進むと思います。世界では遺伝子レベルでの医薬品の開発が進み、DNA鑑定による厳密な処方管理ができるようになりつつあります。今後は日本でも薬剤師が鑑定を行うような機会が確実に増えて、勉強しなければいけないことも大きく変わってくると思います。
一方で、患者さんのカウンセリングなどは、まだAIに置き換わってはいないと思います。海外では新しい技術を制度に落とし込むスピードが速く、問題があった場合に改善するスピードも速いのですが、日本ではまず新しい技術を評価するプロセスに時間がかかります。さらに、新しい技術は「国内すべての場所で、同じものを、同時に導入しなければいけない」という生真面目な国民性もあり、柔軟な対応を難しくしています。新しい技術に柔軟に対応できる人材が求められるでしょう。
――6年制薬学教育では対人コミュニケーション能力を養うことに力を入れています。学んだことは将来生きてくると思いますか。
もちろん生きてくると思います。ただし、それをいかに実践で使えるかが重要です。有機化学の授業で学んだことをそのまま患者さんに説明しても、理解してはもらえないと思います。対応する患者さんのニーズをくみ取り、解決する能力が問われます。
日本のOSCE(※)は実務実習前に1回行われるだけだと思いますが、ノッティンガム大学では1年生から毎年行われます。学んだことをいかに実践で使えているかということを繰り返し確認していくので、卒業前にはもう一人前の薬剤師になっている印象があります。
薬剤師は日本に限らず海外でも真面目でルーティン好きの人が多いのですが、私は自分の教え子たちに常に「積極性とセルフモチベーションを大切にするように」と伝えています。新しいことに柔軟に対応することは、これからの薬剤師にとって大切な力だと思っています。
※客観的臨床能力試験。薬剤師として必要な技能や態度(患者応対や調剤鑑査など)が一定の基準に到達しているかを客観的に評価するための試験

中尾 豊 Profile
株式会社カケハシ 代表取締役社長
医療従事者の家系で生まれ育ち、武田薬品工業株式会社に入社。MRとして活動した後、2016年3月に株式会社カケハシを創業。経済産業省主催のジャパン・ヘルスケアビジネスコンテストやB Dash Ventures主催のB Dash Campなどで優勝。内閣府主催の未来投資会議 産官協議会「次世代ヘルスケア」に有識者として招聘。東京薬科大学薬学部客員准教授(2022年~)や新潟薬科大学客員准教授(2023年~)も務めている。
進化するAIなどの新しい技術をポジティブに捉えていってほしい。
――2040年の薬剤師は、どんなふうに変わっていると思いますか。
薬剤師について考える前に、社会全体がどう変わっているかから想像してみます。おそらくその頃には、AIが個人秘書のような存在になっていると思います。例えば、「来週から梅雨入りする予報があります。あなたは気圧の変化で片頭痛になりやすいため、薬を準備されるとよいかもしれません」というように、過去のさまざまなデータに基づいたアドバイスを毎朝AIがしてくれるのです。
医療の専門家を探す時も、やはりAIが蓄積されたデータに基づいて選び出すことになるはずです。例えば、「この薬剤師は片頭痛に関する臨床経験が豊富で、かつ成績も良好である」といった過去のデータに基づいて能力の高い薬剤師が選ばれるのです。薬剤師の臨床能力や評判の高いことが把握できる世の中で、能力値が高い人が選ばれやすい可能性があると思います。AI時代においては薬剤師として“責任”と“権威”が残るので、テクノロジーを活用しつつ臨床効果を効率的に高め、患者さんや生活者の信頼を得ていくことが重要になると思います。――今の6年制薬学教育は対人コミュニケーションの教育にも力を入れています。
――学んだことは未来で役立つでしょうか。
確実に役に立つと思います。コミュニケーションによって患者理解を深めない限り、正しいアセスメントはできません。また、患者さんが信頼するのは、現場で一人でも多くの患者さんを見てきた人だと思うからです。
薬剤師は、直接患者さんと接して問題を解決できる稀有な職種です。今後の薬学教育は、より対人コミュニケーションスキルに力を入れたものに変わっていくと思います。それに伴い、薬剤師には、患者さんの情報をリアル、デジタル含めて収集し、アセスメントし、問題をすばやく解決できる能力が求められるようになるでしょう。「調剤業務だけやっていればいい」といった過去の薬剤師像にこだわっていると、未来に不安を感じるかもしれません。「進化するAIを活用すれば患者さんにより有効なアドバイスできる」と、ポジティブに捉えていってほしいと思います。